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校長あいさつ

2010年07月01日
誇り
 前半の大きな行事、運動会も無事終わりました。保護者の皆様、地域の皆様の温かなご声援のおかげで子どもたちにとっても心に残る運動会になりました。
子どもたちの感想を聞いてみると、「徒競走では1等はとれなかったけれど、力一杯走ったのでよかった。」(2年)「リレーで優勝できてよかったです。朝みんなで練習した成果が出て嬉しかった。」(4年)「始めは意見がそろわずに練習もうまくできなかったけれど、途中からみんなで協力して練習できたので、本番ではたくさん跳ぶことができた。」(5年)等々、運動会での目標「挑戦」「協力」「団結」などが、子どもの思いから感じ取れました。ご家庭でのご支援に対し、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 さて、世の中に目を向けると、世界中がサッカーのワールドカップで大盛り上がりです。日本も大健闘。寝不足もまた心地よいという経験をされた方も多いのではないでしょうか。クラブチームの戦いとは違い、国を背負っての戦いですから、選手の口からも「国民の皆さんの期待に応えたい」とか「侍ジャパンの誇りをもって」というような言葉が多く聞かれています。そんな選手の思いを聞くと、野球少年の私も、思わず「日本がんばれ!」と叫んでしまいます。このグローバル化が進んだ時代に、日本という国を再認識することができたという方も多いのではないでしょうか。サッカーを通して日本の国のよさやこれからの課題等を考える機会になればいいなと思います。

 今回の侍ジャパンの強さは、「一体感」にあるということがいわれています。ピッチに立てる選手がいれば、無論ピッチに立てずに選手をサポートする立場に回る人もいるわけです。それは厳しいことですが、スポーツの世界では当然のこと、チームプレーの種目はなおさらです。
 レギュラーであるなしにかかわらず、チームのためにどれだけ自分の力を発揮できるかということが問われます。彼らはプロですからレギュラーになってお金を稼ぐという世界に生きています。しかし、このワールドカップは違います。まさしく「日本人としての誇り」という一点で個々が繋がって大きな力に変えていると私には思えるのです。「ピッチに立ちたい思いは誰にも負けない。でも、もし試合に出られないとしても、どこかでチームの力になりたい。」今年の代表選手にはそう覚悟をもっている人が多いように感じます。また、それが「日本人としての誇り」の表し方なのかもしれません。そして、そのことが一体感を生んでいるのだと思えるのです。

 私たちの日常にも自身の誇りが試される場が多々あります。リスクを背負ってでも挑戦しなければならないときや、苦手なことやできれば避けたい事態に遭遇したときに勇気を振り絞ってそれらに立ち向かえるか、まさに自身の誇りが試されていると思うのです。
そうはいっても、人はそれぞれの背景を背負って生きています。いうほど簡単な状況ではないかもしれません。少なくとも、自分の心に嘘をつかず、自分の中に生きているであろう誇りを自分で捨て去ることだけはしないように努力をする、そんな生き方ができるといいなと思っています。

 徒競走で靴が脱げても走り続ける姿、これも子どもながらのりっぱな誇りの表し方なのです。

 校長 豊田公敏
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