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校長あいさつ

2011年05月07日
大震災が私たちに問うもの
 ついさっきまで仲良く歓声を上げていた友だちの多くがいなくなったら、残された子どもたちは何を楽しみに毎日を過ごすのだろう。
 ついさっきまで自分たちの学習を、生活を見守っていてくれた先生方の大半がいなくなったら子どもたちは学ぶ意欲や学校の意味をどうやって呼び起こすのだろう。
 昨日まで慣れ親しんだ故郷を離れて、遠く知らない土地で暮らし始めた罪もない子どもたちが、「放射能」と差別を受けたら、何を信じ誰を頼りに生きていくのだろう。
 
 東日本の大災害から2ヵ月になろうとする今、生きていく上での過酷な現実が被災者の身に押し寄せています。日本人としての誇りや品性、勤勉さが今まさに試されている状況です。
原発の影響で故郷を捨てなければならない人々や未だ家族を探し求めている人々がいる中で、義援金と偽って詐欺を働く人間もいます。人は窮地に陥れば陥るほど、人間性が試されるのだと改めて思い知らされました。
 
3万人近い人々が亡くなったり、行方不明になったりしています。逆に言えばそこには同じ数だけ悲しいドラマがあるということです。その一つ一つに思いを馳せることはできませんが、少なくても多くの涙が流れていることを私たちは考えなくてはいけないと思います。
災害がある度に、少しですが義援金などの協力をさせていただきました。でも、今回は「つなぐ」という課題が課せられていると私は考えています。どうつないでいくか、これからです。
今回、スポーツ界や芸能界などからも真剣に多くの方々が支援の声をあげています。そして、確かにつかの間の安らぎや笑顔、明るさを生んでくれています。自らのパフォーマンスを高めることを最優先に考えるアスリートやアーティストたちが、支援活動を優先し人々に元気を与えていることに私は新鮮な驚きと感動を覚えています。

苦しくとも必死に耐え忍ぶ日本人の姿に、世界中から畏敬の念をもって応援の声が届いているのも一つの救いです。その中で、日本人よりも日本人らしい心をもった外国の方々が多くいることを知ることができたのも、日本にとっては大きな勇気をもらった気がしています。

宮城県七ヶ浜町で国際交流員として働くマティー・ミックエルリースさんの記事が新聞に載っていました。彼女は、仲間が避難していく中で、避難バスに乗らず自らの意志で町に残りました。
「昨年の夏、私は、よろしくお願いしますとあいさつして、皆さんに歓迎してもらった。ここが、私の家。都合の良いときだけお世話になります、なんて意味じゃない。」礼節や恩義の真の意味が分かっている、そして真の勇気をもっている人でなければ言えない言葉だと思います。

「ここで米国に帰り、温かいシャワーのある暮らしを選んだら、私は口先だけの人間になってしまう。」というマティーさんの言葉もまた、人間としての尊厳を問う限りなく重たい言葉です。
この大災害から学ぶべきことはいっぱいあるのです。いえ、学ばなければ前には進めないと思っています。自分に問い続ける意味からも、先月に続いて がんばろう日本。
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