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校長あいさつ

2011年09月30日
「やってみなければ可能性は得られない」
   校長 豊田 公敏
 4月以来6ヵ月、前期が終了します。この6ヵ月の間、各学年、学級では様々な営みが積み重ねられてきました。様々な出来事が生まれる毎日の中で、子どもたちは確実に学び方や生き方を習得してきています。もちろんまだまだ道半ばではありますが、「きこう みよう そこから考えよう」を意識しながら、自分のなすべきことに一つ一つ挑戦してくれました。
 前期のがんばりは「あゆみ」でお示しします。あくまでも、今の時点での学校での表れをお伝えするものであり、この評価で将来が決定付けられるものでは無論ありません。がんばったところは褒めてあげてください。課題があれば、そこを後期の目標にしてがんばるよう励ましてあげてください。自分自身を振り返り、成果や課題を確かめる、そのための「あゆみ」です。叱る材料でもなく、過度なご褒美のための資料でもありません。
 この「あゆみ」が、今後の学びや生き方における力となることを願っています。

 振り返ってみると、この6ヶ月間は日本にとって大変大きな試練の時期となりました。
3月11日の東北の大災害は、新年度を迎えた小・中学校などに大きな衝撃を与えました。震災にあった東北の学校は卒業式や入学式ができない、或いは学校が再開できないという事態に陥りました。転校を余儀なくされて、全国の学校に散っていった子どもたちもいます。彼らの多くは、人々の善意に守られて何とか学校生活を送っています。ありがたいことです。
しかし、現代を象徴するような出来事がいくつも生まれたのも事実です。
「放射能、放射能」といじめられた子どもがいたこと、京都では放射能の危険があるという市民の声で被災地のたいまつが燃やされることはありませんでした。愛知でも同じく被災地で作られた花火の打ち上げが拒否されました。野菜や米、肉も例外ではありません。

自分や自分の家族の健康・安全を第一に考えるのは当然のことです。しかし、それが他者への差別になっているとしたらとんでもないことです。「私も家族も生きている、しかし、彼らもみんな必死に生きている。」ということを忘れてはならないと思います。
放射能の問題に限らず、最近の傾向として、「安全」という2文字にあまりに過敏になりすぎて大切な事まで棄て去ってしまっている気がしてなりません。「組体操は危険だから止めた方がいい」「ジャングルジムは危険だからなくした方がいい」「この道具は危ないから使わせないでほしい」確かに100%安全とはいえません。でも、子どもが生きる上で必要な経験までもが「安全」の2文字の元に捨て去られるとしたら、これは大変危惧すべきことだと思います。
子どものもつ冒険心や挑戦心、これらは無菌状態の守られた空間の中では培うことができません。むしろ、やってみることで危険を回避する力を培うことの方がよほど大事だと思います。

雅楽師の東儀秀樹さんが言っています。「やってみようと一歩踏み出した者にだけ得られる可能性がある。」恐れが先に立って、或いは損得の計算が先に立って「やらない」という判断をするようでは、自立の道はありません。一歩踏み出したからこそ、新しい出会いが生まれるし、貴重な体験も生まれると思うのです。そして、それは力となって生き続けます。
 
慎重さはもっても、過敏になりすぎて宝物を失うようなことはしないように決意新たです。
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