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校長あいさつ

2012年01月10日
「新年に思う」
あけましておめでとうございます
 この言葉を使うことをためらっている方々が多くいるというニュースを昨年耳にしました。確かに被災地や被災された方々には辛い響きになることは当然なことだと思います。
 しかし、これからの日本がそして日本人が勇気と希望をもって再出発していくための気持ちの切り替えをどこかでしたいという思いもあるのではないでしょうか。
多くの悲しみを封印し自分の気持ちを奮い立たせることができるきっかけはというと、ひとつには新年を迎えるときがあるのではないかと思います。新たな気持ちで出発することができる幸せを「おめでとうございます」という言葉で表現することをお許し願えればと思います。
 
【なぜ、人は故郷で新年を迎えたがるのだろう。故郷に惹かれるのはなぜだろう。もしかするとこうかもしれない。志を抱いて故郷を出たときと、新しい年を迎える日は、夢をつないで旅立つことで共通しているからだろう。
その志や夢を確かめたくて、だれも自分の生い立ちのある故郷に帰る。いや、それだけではない。人はだれも家族の結びつきを求めて生きる。それを確かめにみんな故郷に帰るのだ。】

静岡新聞の社説にかつて書いてあった一節です。一昨年の1月号でも紹介させていただきました。この文章から浮かび上がる人と故郷をつなぐ筆者の思いが今年は特に心に響きましたので、あえてもう一度紹介させていただきました。
今年のお正月も、いつものように多くの人々が故郷へ向かいました。おじいちゃんやおばあちゃんに初孫を披露する家族、お父さんやお母さんに恋人を紹介する若者、中には何十年ぶりかで故郷の土を踏むという人もいたのではないかと思います。そんな中で、帰りたくても帰れなかった人々が今年は特に多くいたことに心が痛みました。
何もなくなった、誰もいなくなった、肉親さえも失った、そんな人たちもきっと自分を育ててくれた故郷に帰りたかったに違いありません。
でも、たとえ帰ることができなくても、自分の原点は確かにそこにあるはずです。自分を育ててくれた海や山、町の人々。そこにいつの日か帰ることができることを心から願います。

 「あの道を見つめてごらん あの草を見つめてごらん 
ふまれてもなお伸びる道の草 ふまれたあとから芽吹いてる
   いま 生きていること 一生懸命生きること なんて なんて 素晴らしい
  あすという日が来る限り 自分を信じて あすという日が来る限り 自分を信じて」

 全国中学校合唱コンクールの課題曲「あすという日が」の歌詞の中の一部です。震災のため出場を断念した仙台市立八軒中学校の吹奏楽合唱部はこの歌を被災地で歌い続けました。
その姿は、被災地の方々に多くの勇気と希望を与えました。若者による愛と信念に満ちた行動こそがこれからの復興の大きな力になると信じたいと思います。

新年にあたり、私も明日という日を信じ、自分を信じ今年を歩んでいきたいと思います。
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