【6年修学旅行】狂言について学ぼう 
2017/10/05

 今年の修学旅行1日目は、「杉並能楽堂」にて、狂言「柿山伏」「附子」の2本を鑑賞します。

 遠い昔に中国から伝わってきた散楽や豊作を願っておこなわれた田楽などの芸能をルーツとして進化していくなかで、能が人間の心理を深く掘り下げていったのに対して、笑いにスポットをあてて、たくましく生きる人間の姿を描き出したのが狂言でした。
 能と狂言は例えるなら、1枚のコインの表と裏のような関係です。最近は狂言だけを上演する公演もありますが、もともとは「能」という一つのジャンルの中でもセットで演じられてきました。そうして、どんな人の中にもある両面を見せることでバランスをとっているのです。(「のう・きょうげんの本」日本芸術文化振興会)

【柿山伏あらすじ】
 羽黒山の山伏が、大峰・葛城での修行を終え帰国の途中、空腹になり、柿の木に上って柿を食う。畑主が木の上の山伏を見つけ、人ではないようだと言って様々な動物(カラス、猿、犬もあり得る)の真似をさせて、なぶった末にトビだと言う。山伏はトビの格好をして鳴き、木から飛び降りて腰を打つ。見捨てて立ち去る畑主を山伏は法力で連れ戻すが、背負われた畑主の背中から振り落とされてしまう。


【附子のあらすじ】
 附子という毒の入っている桶には手を触れるなと言い置いて、主は太郎冠者・次郎冠者に留守を命じる。太郎冠者は好奇心から附子を見たいと欲し、次郎冠者に協力させてこわごわフタを開け、見ればうまそうなので一口食べて、毒ではなく、砂糖だと知る。砂糖と聞いて次郎冠者も寄ってきて食べ、二人は桶を取り合ったりして、皆食べてしまう。太郎冠者のいれ知恵で、掛物を破り台天目(台に乗った天目茶碗)を粉々にした二人は、主の帰宅と同時に泣き出す。主が理由を尋ねると、大切な品々を誤って壊してしまったので、附子を食べて死のうと思って、桶の中の附子がなくなるまで食べたけれどまだ死なれない、と言う。主を扇で叩いた二人は、逃げ出す。


 さて当日、もしかしたら人間国宝、山本東次郎さんに直接お話を聞くことができるかもしれません。山本東次郎さんの仕事にかける思い、そして生き方・考え方を知り、また自らのこれからの生き方を見つめる機会になればいいですね。


■杉並能楽堂のページ
 人間国宝の山本東次郎さんの生き方・考え方を知ることができます。

■工夫重ねる意欲尽きず 人間国宝に狂言師山本東次郎さん(You Tube)
 山本東次郎さんが人間国宝になったときの、インタビューが聞けます。


 以下は、山本東次郎さん執筆の本の紹介ページです。本の内容の一部を知ることができます。

■「狂言を継ぐ 山本東次郎家の教え」
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gen/gen5his/kyogen_wo_tsugu/

■「狂言のことだま」山本東次郎
http://1000ya.isis.ne.jp/0646.html

「芸能というジャンルは本質的にその人気が常に流動的であるし、人気があればあったでつい観客に迎合しがちになり、本道から外れてしまう。また若さや美貌や天性の才能のみで人気に甘え過ぎ、技術が追いつかない場合もある。
 (中略)「乱れて盛んになるよりは、むしろ固く守って滅びよ」大蔵流宗家虎年の遺志を継いだ三世東次郎は、たとえ滅びようともこうして狂言の本道を死守することを決意した。
 しかしながら、この捨て身の決意こそが、武家式楽の系譜を揺るぎなく繋げることになったのである。山本東次郎家には確かに、家の「教え」があり、「継ぐ」という意識があった。無論、鷺流の如く廃絶した流派(現在は保存会が残る)もあることから、並々ならぬ努力の果てに伝承は支えられていることがわかる。」(「狂言を継ぐ」より)

「近頃は、能も狂言も観客に受けることを狙う舞台が多くなってきた。もってのほかであると、東次郎は怒っている。ある新作狂言の作者が「大笑いしたあとで観客にぞっとしてもらいたい、怖がらせたい」とインタビューで答えていた。しかしながら、本来の狂言は絶対に観客をぞっとさせたり怖がらせたりはしないものなのだ。
(中略)
 なぜ、そうなのかといえば、そこが能狂言のもつ「型」の意味であり、観客に対する「礼」というものなのだ。」(「狂言のことだま」より)




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